大量生産大量消費からの脱却が落ち込んでいる経済を活性化させる

今現在、日本の経済市場は落ち込んでいます。

何をもって落ち込んでいると言えるのか。それを計るために使った僕のモノサシは、ごく簡単に述べると「実質賃金と支出の差額」の推移です。

ここでは詳しく述べるつもりはございませんので各々で調べていただきたいのですが。今現在、日本の経済市場は確実に疲弊しています。

もちろんその原因は一つではなく、マクロ的な要因、ミクロ的要因、様々な原因があるかと思われますが。数多ある原因の中の一つとして、「市場参加者の価値に対する認識の欠如」は必ずあると考えています。

つまるところ、大量生産大量消費の価値観から未だに完全脱却できていないということに原因があります。

価格設定がおかしい

価値について。例えば、分かりやすくおにぎり市場を例にとってみます。

「おにぎり」を作るのは、簡単なようで難しくもあります。ピンからキリとでも言いますか、例えば一般に広く認知されている「コンビニおにぎり」。

コンビニおにぎりは工場生産で大量に食材を仕入れ、人の手を介さず機械が労働して生産します。

食材の原価もさることながら、綿密に計算されたオペレーションを組んで生産された「コンビニおにぎり」は、明らかに人が作るよりも大量に生産することができ、製造コストをコントロールすることにより、市場に対し相対的に安価な価格設定を行うことが出来ます。

反対に、一つ一つ人の手を介して作る「おにぎり」となると、工場生産された「おにぎり」よりも遥かに少量の数しか生産することは出来ません。

そうすると、通常であれば市場に対し相対的に割高な価格設定を行う必要が出てきます。なぜならそうしないと適切な利益が確保できないからです。でも、中々そうなっていないのが現状です。

この「おにぎりの価格」について話していたらすごく長くなりそうなので、また別の記事ににてお伝えしたいと思いますが。「おにぎりを作る手間」というのは、「どういったおにぎりを作るのか?」といった、そもそもの作り手の考え方次第でいか様にも変わってきます。

こだわったものを作るのであれば、食材の仕入れやその食材の仕込み方などにも手を加えるかもしれないし。元々手先が器用でない人が作るのであれば、相対的に手間が掛かってしまうかもしれません。

なので、

「おにぎりだから手間が掛からない」

といった考え方に対しては、一方では「真実」で。また一方では

「一概にそうとは限らないよ」

ということになります。

くわえて、必ずしも手間を掛けたからといって、それが食べる側の人にとって価値を感じるわけではありません。逆に、ほとんど手間をかけていないモノであっても、相手にとっては価値が高い場合もあります。

一体何が言いたいのかというと、

「おにぎりなんて価値が低い(価格が安い)モノだ」

といった認識を多くの人(事業者に限らず消費者も含みます。あるいは「人間」と言った方が適切かもしれません。)が持ってしまうと、そのマーケット(経済市場)が成り立たなくなる可能性が出てくるということ。

特にそういった認識を持っているのは、そのお店を利用する側の人ではなく。むしろ、その「おにぎり」を作っている側の張本人であることが大半であるように思いますし。その「おにぎり」を提供する側の人間が

「おにぎりだからそこまでの価格設定するのはおかしい」

といった認識をしてしまっていることこそが問題の根幹であるということです。

先にお伝えした「コンビニおにぎり」と「人手が作ったおにぎり」。

明らかに価値が異なるモノなのだから、消費する方に対してその価値の違いを認識していただく必要があります。

であるはずなのに、「おにぎり!」と一色単にしてしまい大手の価格と横並びの価格にしてしまっている個人のおにぎり屋は多いです。もちろんそのような価格で販売できたとしても事業的な利益を得られることなど出来ず、多くのおにぎり屋が疲弊してしまっているのが今現状のおにぎり市場だと思います。

そしてそのような状態あるいはそのような認識を持っているのは、「おにぎり屋」だけに限らず、あるいは食べ物市場に留まらず。全市場の供給者全般に当てはまるようです。

個人の価値を認め合う

一体それのどこが問題なのかというと、端的に言えば、その「認識」が今現実の経済市場を疲弊させているということです。

もう少し噛み砕いて言うと、「量」的に飽和しているマーケットに対し、

「まだこれでもか!」

更にもっと「量」を増やそうとしている市場参加者がいるということが、マーケット全体のパイを増やすどころか、その経済市場そのものの継続性さえもぶち壊そうとしているということです。

もっと分かりやすく言うと。価値(価格)を高めること、あるいは自身が提供する商品やサービスの価値を市場に対して適切に伝えることに尽力せず。

効率化や簡略化ばかりに着目し、その仕組みで薄い利鞘をとるといった、旧時代的な産業構造頭で考えている「時代遅れの資本主義者」が、未だに経済市場の中に参加している、あるいは参加しようとしているということに問題があるということです。

ここで指摘したいことは、今現実に採用されている経済システムが良いのか悪いのか、大量生産・大量消費が良いのか悪いのか、そんなことを指摘したいのではなく。

現実に経済システムが採用されているこの社会に対して適切に対応しようと考えるのであるならば、その経済システムが循環できるような仕組みを作ることが、経済システムの中にいる僕たちにとって最低限必要な事ではないかと思うのです。

たしかに安いに越したことはありません。物の価格が下がっていくこと自体は悪いことではないと思います。

究極的にはすべてのモノ・サービスが無料になり、誰もが自由に利用できるような社会になることは理想であるし原理的には可能です。

ですが、それは民間市場だけでは到底成り立つことはかなわないことです。もう一つの原理である公共政策(政治)が機能することが前提だからです。

民間の市場を国家の公共政策をもって補完出来なければ、モノ・サービスの低価格化は僕たち国民の生活を苦しいものにするだけです。

であるならば、僕たち民間市場で活動する個人規模の事業人が今考えることは、同じようなモノ・サービスをいかに低価格で提供する仕組みを作るかではなく、いかに新たな独自の価値を世の中の人達に認識させるかだと考えます。

ここで言う「価値」は、そのまま「価格」と言っても構いません。

人の胃袋の総量は変わりません。今まで一回500円で腹を満足させていたものを1,000円にすることができれば、それだけで市場は拡大します。単純です。

個人が個人の価値を認め合うことが一般的になれば、それは容易に実現出来ます。もちろん理屈の上では。ですけど。

国が疲弊している。大企業が疲弊している。と言ってもどちらも個人の集まりです。それを救えるのは他ならぬ僕ら個人一人ひとりの意識です。

個人が個人の価値を認め合い、個性を認め合う。個人が経済的に力をつけていくこと、個人が経済的に独立できることで、自ずともう一つの原理である公共政策も、良くか悪くか変化していくことになると考えています。

自信をもってやれることだけやればいい

これまで続いてきた大量生産・大量消費のやり方では、そもそもこれからの経済を循環させることは不可能であるということを先にお伝えしました。

今までのやり方(大量生産・大量消費)とは異なった、何か別の方法で対応していかなければ現実に経済システムは成り立って行かない。

そこで、その経済社会に対して重要な役割を担っていくのが、先にもお伝えした小さな事業体。小さなビジネス体です。

では、その小さな事業体は何をすればよいのか?

その小さな事業者、資本力・生産力を持たない小さな事業者(ビジネス体)が行うことは、資本力・生産力を持っている大きな企業、仕組化されているチェーン店が行っているようなことではありません。出来るはずもありませんし。

であるにもかかわらず、大きな企業がやっていることの真似事みたいなことをやっている個人のお店はたくさん存在していますし、そのことについて何の疑問も持たずに只々疲弊している小さなお店・ビジネス体は、この経済市場の中にたくさん存在しています。

同じ「池」にいる魚に対し、同じ「エサ」で引っ掛かる魚を取り合ったとしても、勝つのは大抵そのエサを多く持っている者であり。

同じ「市場」にいる参加者、同じ「価値の提供」で満足する参加者を取り合ったとしても、勝つのは大抵その「価値の提供」を継続し続ける仕組みを持っている者に他なりません。

更に、魚は無限の存在ではなく有限です。数には限りがあります。

仮にエサを供給し続ける仕組みを持てたとしても、肝心の魚がいなくなってしまっては意味がありません。

そのうえ更に、作ったエサが勿体ないからと残っている数少ない魚に対し「そら好きなだけ食べろ」とエサのばら撒き合戦(価値の暴落)を行っても、結果がどうなるかは誰でも予想できます。それがいま現状の飲食市場です。どの業界も似たようなものですが。

必要のないモノは必要ない。いらないモノはいらないのです。

そうであるならば、資本力を持たない小さな個人のビジネス体が行わなければならないことは、大きな企業が提供している「価値」を物真似するのではなく、大きな企業が提供できていない「価値」を市場に対して提供することです。

大きな企業が網を構える市場ではなく、大きな企業が網を構えられない市場に目を向けることです。

そうすることで、まだ世の中に存在していない新たな市場、まだ世の中に提供できていない新たな価値を創出することができ、結果的にこの経済社会に対してなんらかの影響を与えることが可能になるのではないかと考えています。

そして、それこそが、現在低迷している経済市場を活性化させるための重要な考え方だと思うのです。

要は、自分自身がその時々に自信を持って提供できることだけやればいい。いや、自分にしか出来ないことをやればいい。ただそれだけだと思うのです。

と、ここまでそれらしいことをつらつらと述べてきましたが、僕ら人間には欲とかそういった感情が存在しているわけで。そのような理論を無視した今回の見解などあまり意味を持たないことは重々承知なわけです。