良いものを高く売る人の社会的存在意義

どうもこんにちは、Kow Shimizu です。

今日は良いものを高く売ることについてお話しします。

世の中には大きく分けて二つ。「良いものを安く売ること」と「良いものを高く売ること」二つの考え方がありますが、現在は「良いものをそれなりに高く売る人」が圧倒的に足りていないように感じます。

「良いものを安く売ることは社会にとって本当に良いことなのか?」の見解については別の記事にてお伝えしていますが、この記事ではもう少し噛み砕いて「良いものをそれなりに高く売る人」の社会的存在意義についてを考えてみたいと思います。

それぞれの定義

「良いものを安く売る人」と「良いものをそれなりに高く売る人」は根本的に異なります。簡潔に言うと、

良いものを安く売る人

良いものを安く売る人とは、「安く買えるあらゆる良い商品を仕入れ、できるだけ少ないマージンで売る」を繰り返す者。感覚的には「商人」です。

良いものをそれなりに高く売る人

良いものをそれなりに高く売る人とは、「他人が欲していない商品を創り出し売る」を繰り返す者。感覚的にはビジネスマンです。

商人とビジネスマン

以降、分かりやすくするため「良いものを安く売る人」を商人、「良いものをそれなりに高く売る人」をビジネスマンと呼ばせていただきます。

商人は、1,000円で仕入れたものを1,100円・1,200円という出来るだけ少ないマージンで売る者であり、出来るだけ早く回転させて利鞘を積み立てていきます。回転数が増えるほど利益は積み重なり、回転すればするほど儲けは大きくなります。

一方でビジネスマンは、原価1,000円で創ったものを2,000円3,000円、果ては10,000円と、出来るだけ高値で売ることを是とします。一つ売っただけでもかなりの利益をあげられます。

商人の役割

国が貧しく国中に資源が行き渡ってないうちは、商人が精を出して働いてくれることで人々は様々な恩恵を受けることが出来ました。

あの山で撮れたものをあっちの村人に売る。あの海で撮れたものをこっちの村人に売る。それもできるだけ少ないマージンで。

そうやって少しづつ文明が進歩してくると、あの企業が作った製品を出来るだけ多くの人々に売る。国中の人々に売る。出来るだけ少ないマージンで。こうやって、商人がいることによってその国に住む人々に資源が行き渡り、人々の物的生活はどんどん豊かになっていきました。

でも、その国の人々がある一定水準の生活レベルになると、

「もういらないよ」

商人からものを買わなくなります。

多少機能や効能が異なるくらいなら、今まで使ってるもの、今まで食べてるものでいいやと、商人が仕入れてきたものを断り始めます。

「ごめんね。とりあえず今ので十分かな」

このころから商人側に在庫が出始め、その在庫を掃かすために商人も少し考えるようになります。

「じゃあもっと安く売るからどう?」

「それなら少しくらいは・・・」

はじめのうちは付き合いや情けで買ってくれるかもしれませんが、そのうち

「いや、もういいや」

やっぱり買わなくなります。どんどん在庫が出始めます。

「どうしよう、仕入れたのに売れない・・・。」

国が貧しく物資が行き渡ってないときは、安く買えるあらゆる商品を仕入れて出来るだけ少ないマージンで売ることで、「世のため人のため社会のため」に一役買ってきたのに。

一定の水準まで人々の生活水準が上がった途端、それまでのように多くの人々に商人としての価値を届けられなくなりました。

ビジネスマンの役割

ここでビジネスマンの登場です。

商人が抱えている在庫を一つ拝借。

「奥さん、知ってます。実はこのこれね・・・」

「えッ、そうなの!?」

「そうなんです。こんなの今までありましたか。信じられます!?」

「えっ、この前来た人(商人)そんなことひと言も言ってなかったし(汗」

「ぜひ買わせてちょうだい!」

あるいは、商人の在庫を一つ仕入れ加工してみます。

「ここをこうすればあの人たちは買わずにはいられないだろう」

「これを手に入れることによって、あの人たちの生活(心)はもっと満足できるようになるはずだ」

商人が右から左へ流していたものを加工し、新しく価値をつけなおし出来るだけ粗利を獲得できるよう高値で販売します。

「ここで出来るだけ多くの利益をあげることによって次のビジネスの原資に出来る」

そうやって、売ることに限界がきていた商人の商品をバトンタッチして新しい市場を開拓していきます。

商人が一生懸命値下げしても売れなかったものが、ビジネスマンの手によって価格を下げずに、あるいは随分と高い価格でも売れていきます。

面白いことに、ここでビジネスマンが「世のため人のため社会のため」と考えることがなくても、「世のため人のため社会のため」が勝手に実現していきます。高値で売ることで市場が拡大していくからです。

市場全体が疲弊していく

卸問屋は当然の事、創業何百年といった昔ながらの企業には商人気質の企業(以降、商人企業)が多いように感じます。

まだ国が貧しかったころ、そのような商人企業そしてその企業に勤める人たちが一丸となって国を富ますことを考え、国中に物資を生き渡せることに力を注いできました。そのおかげで、僕たちは今、物的に豊かな暮らしが出来ているのだと。

ただ、物的に豊かになってしまった現在に、そのころと同じような考えで一丸となっても、逆に僕たちの生活を苦しめることになります。もちろんそれは回り回って商人企業自らの首を絞めることにも。

単に、あそこで撮れたもの・あの企業が作った製品を右から左へ流すだけであれば、いざそのもの・製品がいらなくなってしまった場合、どんどん在庫が溜まり続けます。

そうした活動をする商人の数が多ければ多い程、市場全体の在庫数もどんどん多くなっていきます。そうなると、商品のディスカウントをしてでもその在庫を売りさばこうとせざるを得なくなる商人企業も出てきます。

必要以上の合理化・効率化。商人企業で働いている労働者の給与をカットする・解雇することによってなんとか利益を出そうと必死になる企業も出てきます。

「世のため人のため社会のため」となって、「良いものを安く、出来るだけ少ないマージンで」活動していたことが、その理念によって「人を疲弊させ社会を疲弊させ世を疲弊させる」ことになっていきます。

世の中に商人企業が1社だけしか存在していないのであれば、論理的にはコントロールすることも容易いですが、何社も存在していれば必ずそこに競争(低価格競争)が生じ、生き残りをかけて戦うことになるからです。

社会の発展にはどちらも欠かせない

誤解をしないよう付け加えておきますが、商人企業自体が悪いわけではありません。

新しい製品、社会の進歩に繋がる製品がずっと高値のままであれば、その製品を買える層は限られます。一部の富裕層だけがその製品、その恩恵を受けられるだけで文明全体が変わっていくことにはつながらないからです。

末端層まで手が届く価格まで下げなければ、いつまで経っても文明は進歩しないままになります。

それを防ぐためには、基本はビジネスマン企業であっても商人企業のような振る舞いをせざるを得ないときも出てきます。

その企業の主の考え方は様々で、一定の層まで行き渡って別の所得の低い層まで取り込まなければ、企業の存続に関わるといった考えから商人企業のようにシフトする場合もあれば、社会の発展のためにと商人企業のような振る舞いにシフトする場合。

それぞれに考え方は異なりますが、どちらにせよ、商人企業化した経営を行うことで世の中は発展していくことになります。

今のような高度な社会が築かれているのは、商人企業のおかげでもあるからです。

忘れてはならないのが、「良いものを安く売る」は「良いものをそれなりに高く売る」の土台になっていることです。

商人(商人企業)が良いものを安く売ってくれていることで、ビジネスマンはそれを土台に商品づくりが出来ている現実があります。

社会の発展にとってはどちらも欠かせないということを忘れないようにしたいものです。