今日は料理好きな方を対象とした自分自身の価値についてお話してみます。
結論として、お金をいただく行為としてやるのであれば、まず自分自身の価値をはっきりと認識しているかどうかが重要ということ。
なぜなら、その価値をはっきりと認識しておかなければ、不当に低い不遇で働いてしまう可能性があるからです。
金銭をいただく行為としての仕事であるならば、市場で働くすべての方に共通した考え方であり。経営者・雇用者にかかわらず、意識しておく必要があります。
誰にも代替できない価値
「料理が好き」という方ならば、おのずと日々の生活の中で、自分の家族に対して料理を作ることに生きがいを感じている方も多いかと思います。
野菜・肉・魚を仕入れて仕込みを行い、妻や旦那・子供の健康を考え、栄養を採れるようにとバランスの良い食事を提供する。
言葉で言うと簡単なようですが、それって実はめちゃくちゃ難しいことだと思います。
妻(夫)・子供のその日の体調を考えたり、それぞれに好きなもの嫌いな食材があったり。
それでもどうにか栄養が摂れるようにと工夫をこしらえ料理を作る。
果たしてそれらが誰にでもできることかどうか。
現代は家事(料理)代行というものを利用することが出来ます。
もちろんある程度地域は限定されるでしょうが。仮にそのような家事(料理)代行を利用したとして、今自分がやっているような食事を同じように誰か別の方が代替することは出来るでしょうか。
- 妻(夫)・子供たちの今日の体調を気遣うこと
- 毎日見ているからこその体調の変化・顔色、食べ物の好き嫌い
- 〇歳(幼児)の○○ちゃんはこういう切り方でないと上手く食べてくれない。こういう調理の仕方でないとうまく食べてくれない
そういったことを毎日毎日毎日考えながらの食事を提供できるでしょうか。
絶対とは言い切れませんが、それはやはり血のつながりがあったり家族だからこその愛があったりとか、そのような関係だからこそ出来ることだと思います。
「その白菜、この前おばあちゃん家の畑で一緒に採ったやつだよ。あなた先っぽちょん切ったじゃん!」
「そのブロッコリー、この間一緒に行った産直市で買ったやつだよ。あの山奥の。」
「今日のシチュー、実は○○が入ってるんだけど、何かわかる?」
共に体験したことなどの話を交えながら、用意した食事を囲んで団らんしたり。
共に一つ屋根の下で暮らしている家族だからこそ出来るもの。そしてその価値たるものは何にも代えることは出来ません。誰にも代替することは出来ません。
それを価値などと言うことすらバカバカしいですが、家族からしてみればすごく重要な価値ある仕事(料理)を担ってくれているのが、他でもないその方なのですから。
お金と時間はトレードオフ
次に経済的な面で考えてみます。いわゆるお金に換算した場合です。
調べてもらえばすぐに分かりますが、先ほど申し上げた家事代行について、特に料理に絞って外注するとなると1時間当たり2,000円は超えてきます。
仮に、毎日3時間程を家族に対する食事の提供に関する時間に使っているのであれば、それは経済的価値(価格)として1日6000円の価値があります。
もちろんそれらの数値はGDPには反映されませんが、間違いなくそこには経済的な価値は存在しています。
それを1ヵ月30日と考えたら180,000円。年間で2,160,000円です。
その2,160,000円を可処分所得で得ようとした場合、総支給額で280万円ほど必要になります。
住んでいる地域が地方だとして年間総支給額280万円を得ようとしたん場合、まず一日8時間の労働がある職場を選ばなければ難しいです。
休みも週休2日でいけるだろうか、と言った感じです。もちろん時間の自由もなくなります(可処分時間の減少)。
そして言うまでもなく、このような雇用者としての立場であれば、それは原則誰にでも代替可能です。唯一無二の価値ではなく代替可能な価値でしかありません。
しかも、今まで家族に提供できていた料理の質は自分自身が担っていたときよりグンと下がります。
「あ~今日はもう疲れたから惣菜でも買って帰ろう」
「今日は半額の冷凍食品でも買って帰ろう」
「食材配達でも利用してみよう」
仮にどこかのお店や企業で勤めた場合。それらの出費は自分が働きに出て得た可処分所得の中からです。
あるいは、いくら働きに出ようとも今まで通り家族に料理を提供しようと頑張ってしまえば、身体を壊すことだって考えられます。
それがストレスになって家族にきつく当たってしまったり。自分は出来ない人間だなんて自分自身を攻めてしまったり。
しかも、それまで家族に対して
- 「今日は何にしよう」
- 「そういえばうちの旦那(奥さん)、今日はあれが食べたいって言ってたよな~」
- 「○○ちゃん、疲れてたから○○がいいかな」
といったことを考えながら料理を作ることに生きがいを感じていたのに、その楽しい時間さえもなくなります。
有限の時間はいつでもトレードオフの関係ですから。
多くの者は時間より金銭を大事にするが、その金銭を得るために失われた時間はお金で買うことが出来ない
自分が家族の体調を気にかけながら提供していた食事のおかげで、家族の健康や精神が良好に保たれていたとしたらどうでしょう。
自分たちが共に体験して手に入れた食材などの話をする機会も減り、その分のコミュニケーションも失われていく。日々の小さな幸せが失われていく。
そうやって食事の質が下がってしまうことで家族の誰かが体調を崩したとしたら、家族のパフォーマンスは下がります。病院にお世話になるところまで発展してしまったとしたら、その分余計に出費もいります。
もうこの辺にしておきますが。今回は家族に食事(料理)を作ることに焦点を当てましたが、このことは家事全般に当てはまります。
何のために働くのか?
今現時点で家族に対して料理を作ることに生きがいを感じ、自らがこだわりをもって家族に対して責任を持って取り組んでおられる場合。それは経済的にも人間としての幸福度的にも価値のあることです。
特に、「料理が好き」を仕事にしようとしているその理由が、「漠然と将来が不安だから、とにかくお金を獲得しなければ」などと考えている場合。
まずもって
「人間として、今現在の自分にとって何が幸せなのか?」
そのような考え方が重要であり。
あまりに「お金(通貨)」だけに囚われてしまうと、本来の人間としての幸せを感じる自分の内側に基づいた価値を見失ってしまいます。
そのような方が増えれば増えるほど、低賃金で働きに出ては自分のしたくもない仕事を嫌々行い、それが原因で病気になったり。
あるいは料理好きが発展して飲食系のお店を営んだ場合などでも、長時間労働なのに全然利益の取れない事業をしてしまう。挙句に借金まで背負い、その精神的辛さで自ら命を○ってしまったり。
「お金(通貨)」はあくまで人間としての幸せを達成するために必要な手段のひとつであるはずなのに、それ(お金)を絶対的なものだと感じている方は多いです。
たしかにそういった方が多ければ多い程、資本主義社会の上層にいる方達にとっては都合が良いかもしれません。
上手く利用してやろうと考えているいないにかかわらず、そのような方達が現場で奮闘してくれればくれるほど、自分たちの資本は積みあがっていくからです。
反面、現場で奮闘している者達(勤め人・事業者にかかわらず)の取り分は、社会保障費や消費税などの増加によって、これから更に減少していくことが予想されます。
奮闘すればするほどに割に合わなくなる。誰のため何のために頑張っているのか。そのような状態になる方は増加していくかもしれません。
自分の料理好きを生かして仕事を探すのは素晴らしいことだと思いますが。
まずもって自分自身の価値を理解したうえでなければ、個人としても日本全体としてもドツボにはまる可能性が高まっていくのでは。
そのような疑問を自分自身に投げかける必要があると思うのです。
「料理が好き」は、あなたの人生を彩る趣味として。「お金を稼ぐ」は、この資本主義社会の中で生きていくために必要なこと。だから効率よく稼ぐ方法を考える。
「好き」と「仕事(稼ぎ)」は別ものとして考える方が、人生が豊かになるのでは。
僕はそう信じています。
