事業経営を行うためには理念や目的が必要である。一般的にはそう言われていますが、僕もそれは事実だと思います。ただ、扱い方を誤ってしまうと悪い方向にも作用してしまう恐れがある。ということを身をもって体験したのです。
僕はおにぎり屋を開業して2年ほどで一度廃業しています。その後1年ほどの休業を経て、また同じ場所でおにぎり屋を再開することになるのですが。その当時、僕はビジネスを成功させるためには、何かしら立派な経営理念や目的が必要だと考えていました。
自分に足りないものはそういった理念や目的だと自分に言い聞かせながら、ようやく出会えた理念と目的。ただ、一年もしないうちに、僕はその理念と目的によって自分自身を苦しめてしまったのです。
その経験から学んだことは、理念や目的は良い方に作用する場合もあれば悪く作用する場合もあるということ。もし、おにぎり屋を始める前にこのことを理解していれば、僕のおにぎり屋人生に大きな影響を与えてくれていたことは間違いありません。
自信をもって答えられなかった
世の中的にも、「ビジョナリーカンパニー」や「理念経営」などの書籍が書店に多く並ぶようになり。それを手に取り読み漁っていた当時の僕にとっては、それは自然な流れだったのかもしれません。それらの書籍を何度も読み返していた僕。
「世の中で成功している人は明確な目的や理念を持ち続けているから成功できたんだ」「明確な目的や理念があるからビジネスに対するモチベーションを維持できるんだ」「自分がモチベーションを維持できないのは明確な目的や理念を持っていないからだ」そんなことを思いながら「なぜ俺はおにぎり屋をするのか?」その問いの答えを必死になって探していたのです。
当時を振り返ると、普段の生活で起きるすべての事柄を無理やり「おにぎり屋をやる目的」に結びつけていたように思います。頭の中では「おにぎり屋をやる」が前提にあり、普段の生活は「おにぎり屋をやる」ことの結びつけ出来事でしかない状態。今思えば、そのころの楽しかった出来事があまり浮かんできません。純粋に、人生を楽しめてなかったのかもしれません。
事あるごとに、「よし、これが俺がおにぎり屋をやる目的だ!」と心が奮い立ったと思えば、翌朝起きたらその心はどこかへ消え去っている。「やっぱり違ったのかな」そうやってまた探し始めます。
「なんか最近、浮き沈み激しくない?」周りにいる者は分かっているようで、当時嫁さんからもそんな言葉を投げかけられたこともありました。おにぎり屋をやめていた1年ほどの期間、僕は自分から出た実家の会社(給食弁当)で働いていました。いや、一度辞めた身である僕。働かせてもらっていたという方が正しいですね。
おにぎり屋の店舗はどうしていたかというと、そこでは給食弁当の内容をそのままパック詰めした弁当を販売。「お前はまた戻っておにぎり屋をやりたくなる」家賃分だけはどうにかしようと両親がお店を残してくれていたわけです。このことが後々僕を苦しめたと言えば結果論になりますが、そうやって両親の助けによっておにぎり屋のカタチはそのままの状態で温存されていたわけです。
当時実家の会社で仕事していた時も、頭の中のリーソースの多くを占めていたのはおにぎり屋のこと。次第にそれは大きくなります。「また再開したいなー」「次はああすれば上手くいくんじゃないだろうか」一度閉めたおにぎり屋に悔いがあるのか、あるいは今の現状(実家の会社)から逃げたいだけなのか。どちらにも当てはまるその状況。思い返せばもっと他の何かに挑戦することが、当時の僕にとって必要なことだったのではと思います。あのとき挑戦して新たな経験をしていれば、別のやりたいことが見つかっていたかもしれません。
仮にその当時、「おにぎり屋で成功したいという気持ちは本心なのか?」と問われていたら。「是が非でもやりたい」と自信をもって答えることはできなかったと思います。だからと言っておにぎり屋以外に強く何かをやりたいといったこともありません。
結局、今の現状から脱したい。逃げたい。そんな気持ちから、「やりたい」ことではなく「出来るだろうこと」としてのおにぎり屋の再開を望んでいたのかもしれません。経験の幅を広げることの大切さを思い知らされます。
日を追うごとに増えていく臨時休業
そんな状態が続いたある日、なんとかその状態から抜け出すための目的。「なぜ自分はおにぎり屋をやるのか?」その答えをようやく見つけることができたのです。
お店のブログにも記事をアップしていたので僕の記録としてもはっきりと残っています。お店のfacebookページに投稿したこともあり、一度廃業するまでに来店してくれていた多くのお客さんにも届き。「頑張ってよー、また来るからね」そんな声をかけてもらいながら、「さあ、自分の掲げた目的のために気合を入れよう」そうやってモチベーションを上げていったことを覚えています。
ですが、やはりその後少しづつ僕自身のおにぎり屋に対するやる気は薄くなっていきます。おにぎりが完売しても、うれしさよりも「あー、疲れた」「また今日もこれから仕込みがあるのか…」そんなこと考える日が増えていきました。
ひと月の内に1回だった臨時休業が、2回3回と月を追うごとに増えていく。おにぎり屋を再開して1年が経つ頃には、再開当時の目的感はどこか遠い所へ行ってしまい。ただただ誰かにやらされているような感覚で自身のおにぎり屋を運営していました。
周りの目を気にして方向転換できなかった
別のセクションでもお伝えしている通り、正直このときおにぎり屋を閉めようと考えたのは1度や2度ではありません。おにぎり屋の形態・コンセプト自体を変えようと思ったことも1度や2度ではありません。なぜなら、このときの僕はおにぎり屋を再開した当時とは自分の価値観が大きく変わっていたからです。

頑なまでにストイックだった無添加志向も随分ニュートラルになり、「こうじゃないとダメだ」といった強い使命感みたいなものもだいぶ薄れていたのです。おにぎり屋を再開して1年。その間、自分の中で色んなことを「ああじゃない。こうじゃない」と悩んだり迷ったり決断したりと。自分と対話していく中で、それまで自分を縛ろうとしていた何かが少しづつ緩んでいったというか。「食」に対してニュートラルな考え方が出来るようになっていたのです。
でも、そんなこと普通に考えてみるとすごく当たり前のことだと思うのです。そのとき抱いている目的とか価値観をずっと持ち続ける事の方が稀だからです。僕だけでなく、多くの人間は色々な経験をすることによって、その時々の価値観というものは変わっていくと思います。
そのとき掲げた目的や当初の価値観、それらのことに一切の偽りがなかったとしても。時が経てば薄れていったり180℃変わってしまったり。経験を積むことによって、変化していく場合の方が多い。ただ、当時の僕はその当たり前に気づかず。一度決めた目的に揺らぎが生じていたとき、その目的事態をアップデートしたりリセットしようとするのではなく。自分が決めた目的なのだから、「それを達成するためにどうにかしてモチベーションを上げなければいけない」「どうやったらモチベーションを上げられるのか」そんなことばかりを考えてしまっていたのです。
なぜそうやって自分を縛ってしまったかを後で振り返ると、それらの目的や価値観を自分以外の人に伝えてしまっていたことも大きかったように思います。そのため、周りの目を気にして方向を変えることが出来ず、身動きが取れなくなってしまったのかもしれません。
立ち止まる合図
それから月日が経ち、おにぎり屋を閉めてから数年。当時を振り返って僕が今思うことは、「事業を始めるのに理念や目的なんて持つ必要がなかった」ということではありません。
何か事業を始めてことを成すためには、目的や理念・信念というものが重要な役割を果たすことは間違いのないことだと思います。目的や理念があることによって、その方向に沿った舵をとることが出来るし。日々の行動に何の疑問を抱くことなく、その日その日のタスクを処理していくことが出来るのも間違いなく理念や目的・信念の力だと思います。
もっというと、事業ごとに限らず何か事を成すうえでは、理念や目的は間違いなく大切な事だと思うし。理念や目的があることで自分を奮い立たせられることも事実だと思います。ただ・・・
そのときその瞬間の自分自身の本能的な気持ちを無視して、いくら立派な理念や目的を掲げたとしても、そのことが逆に自分自身を苦しめてしまうこともあるかもしれないということ。その理念や目的を掲げて自分以外の誰かに伝えてしまっただけに、後々「その目的をやめました」なんていうと嘘つきに思われてしまうんじゃないか。「最初言っていたことと違うよね。お前はウソつきだ」他人からそのように見られるのが怖かったんだと思います。あるいは「また自分は口だけだった」と自暴自棄になったり。自分自身を苦しめてしまうことに繋がるかもしれないということ。
僕の場合、おにぎり屋を廃業せざるを得ない状況にまでなってしまったから、自分の意志とは関係なく立ち止まることが出来ましたが。経済的に追い込まれた状態、精神的に追い込まれた状態の当時の僕では、正常な頭で物事を考えることは出来なかったのです。
今、自信をもって言えることは、そのとき掲げた理念や目的に対して少しでも揺らぎを感じてきたとしたら。それはひょっとしたら、自分自身に合った目的や理念ではないのかもしれない。一度立ち止まって考える合図なのかもしれないということ。
もしそう感じる瞬間が訪れたなら。周りのことなど一切気にせず、ゆっくりと心と体を休める必要がある。そのように理解することができるようになった今。事業ごとだけにかぎらず、理念や目的を持つことをある意味客観的に楽しめるようになった気がしています。
