人生のフレームワークを持つことで日々の生活を豊かにできる!?

人間として生まれてきて一番大切なことは何か。それは、人間としての幸せを味わうこと。誰にも異論はないと思います。

その当たり前のことを踏まえて。この人間社会に生を授かり、その環境下で暮らしていくわたくしたちにとって、核とした生き方を持つのと持たないのとでは、どちらがより人生を楽しむことができるか?僕は後者だと考えています。つまり明確な仕事論を持った生き方です。

仕事論などと小難しく言うと伝わりづらいですが、要はこういうことです。

現代社会に生きる僕らの生活(人生)は、どのような要素で構成されているか

このような視点をもって普段の生活をしているかどうか、ただそれだけのことであり。このような人生のフレームワークを持ち合わせているかどうかで、人間としてより豊かな人生を送ることができるかもしれないということにほかなりません。

何を隠そう、僕は現在進行形でこの人生のフレームワークを検証中なのです。

人生とは仕事と遊び

人生とは、この世に生きていくこと。つまり、社会に生きる人間としてそれは「仕事をし続けていくこと」です。

普段の生活を振り返っていただくとすぐに理解できると思われますが、現代に生きる僕らの社会生活、そのほとんどすべてが「仕事」によって構成されており。僕らの生きるこの現代社会は、各々が様々な仕事を行いあうことによって成り立っていることが分かります。

加えてもうひとつ、社会生活を行ううえで忘れてはならないのが「遊び」という概念です。この遊びについては後述しますが、結論として、現代の社会生活(人生)とはすなわち「仕事と遊び」だと言い換えることができます。

現代の社会生活(人生)=仕事と遊び

江戸時代の人々の仕事観

もう少し「仕事」というものをかみ砕いてみます。

多くの方は「仕事」というものを「お金を得ること」それ一点だけを「仕事」と認識していると思われますが、実は「仕事」というものはお金を得ることだけではないのです。

おにぎり屋だからといって、おにぎり屋に関することだけが仕事ではない。弁当屋だからといって弁当屋に関することだけが仕事ではないということ。

それを紐解くためには、まず僕たちの先人である「江戸時代を生きた人々の仕事観」に触れる必要があります。

ご存じの方もいるかもしれませんが、江戸時代というのは、日本史上、他の時代に比べて最も幸福度が高かった時代だと言われています。

幸福度を数値化すること自体は不可能なので感覚的なものであることは否めませんが、ここではそのことについては触れないでください。あくまでも考え方に注目してほしいからです。

さて、その江戸時代を生きる先人たちの仕事観はどうだったかというと。仕事というものは3つに分類されていたようです。

暮らし

一つは、「暮らし」。

衣食住に関する自給生産です。自分のため家族のためにご飯を作ったり洗濯したり掃除したり、生きていく上で最低限必要な家事労働です。

家庭菜園なんかもその一つで、日々の生活に必要なモノは出来る限り自分たちで賄う。そうすることで生活力もつくわけです。

務め

二つ目は、「務め(つとめ)」。

「会社にお勤めする」の「勤め(つとめ)」ではありません。この「務め」は、自分の住んでいる地域や所属する共同体の中で互いに協力し合う行いです。

隣に住むご高齢の夫婦宅で水やりホースに穴が開いた。「それ僕がやりますから。おいちゃんらは休んどいて」。

子供たちの登下校の通学路。交通量が多い交差点での旗振り当番など。あるいは、実際に物理的に近くなくても、現代ではオンラインコミュニティ内での活動なんかもこの「務め」に入ります。

昔は、子供の教育などは専ら地域の共同体がそれらの役目を担っていました。

稼ぎ

三つめは、「稼ぎ」。

これは言わなくても分かりますね。現代は「仕事=稼ぎ」と認識されていますから。収入を得る(金銭を獲得する)活動です。

企業に勤めること(=サラリーマン)、自ら会社を経営すること(=経営者)に拘わらず、収入を得る活動はこの「稼ぎ」になります。

有償と無償

上述した3つの仕事の内、「暮らし」「務め」は無償で行う仕事であり。「稼ぎ」は有償で行う仕事です。

ただ、厳密にはあいまいな部分も多いので、一点注意することがあります。それは、それら3つの仕事は自分の意識で分類するということです。

例えば、同じ職業だとしても、上の仕事のうちのどの仕事と認識しているかは人それぞれです。

現在就いている職業を「務め」として考えているのか、あるいは「稼ぎ」として考えているのかは、人によって異なるからです。

仮に異なっていた場合、話がかみ合わないことも想定できます。

一方は定時の概念がない、一方は時間でサッと切り上げる。一方は奉仕の精神、一方はサービス精神。

表面上は同じ仕事をしているように見えても、実は全く異なる意識を持っているということを認識する必要があります。

どちらが良いとか悪いとかではなく、そのような認識があるかどうかが重要です。

兎にも角にも、江戸時代に生きた人たちの間では、「暮らし・務め・稼ぎ」この三つの仕事をこなせて、はじめて一人前の大人と認められたそうです。

「暮らし」だけでもダメ、「務め」だけ出来てもダメ、「稼ぎ」だけ出来てもダメで。人によって個人差(各比率の違い)はありますが、一般的にこの「三つの仕事」を認識して日々の生活を営んでいたと言われています。

人生にとって欠かせない「遊び」

人生の全体像を認識していただいて分かる通り、僕ら現代に生きる社会人は基本的に3つの仕事をしながら普段の生活を送っています。

一つ目は「暮らし」、二つ目は「務め」、そして三つ目の「稼ぎ」。

人生の流れは、三つの仕事の比重はそれぞれ人によって違えど、誰であっても基本的には上記三つの仕事をそれぞれどのような比率で行うかを決めることから始まります。と同時に、先にも申し上げたもう一点重要な要素として忘れてはならないのが「遊び」です。人生の流れを理解するうえで欠かせないのがこの「遊び」だからです。

この「遊び」については、その言葉の概念の性質上「仕事」を内包します。どういうことか?

「遊び」というのは、ただ単純にサッカーや野球、ゲームなどをして楽しむことだけではなく。「暮らし」「務め」「稼ぎ」その仕事自体が遊びになることもあります。

ご飯を作ること(暮らし)が自分にとっては遊びのようなものだったり、地域やコミュニティでの活動(務め)が自分にとっての遊びだったり。金銭を得る行為(稼ぎ)そのものが自分にとっての遊びだったりと。プロスポーツ選手や経営者などは、まさしく仕事そのものを遊びのように捉えられている方もいますし。(もちろんそうではない方もいらっしゃると思いますが)

このように、「遊び」は「仕事」と全く異なる概念ではなく、人によっては仕事それ自体が遊びになる可能性を含んでいます。極論、「自分にとってはすべての仕事が遊びみたいなもの」と言ってしまうことも可能であり。そうなれば、

現代の社会生活(人生)=遊び

と捉えることもできますが。現実的にそのような人は一握りかと思われます。

「稼ぎ」に関してはすべて遊びのようなものだけど、「暮らし」に関しては苦痛。といったように、すべての仕事を遊び感覚で出来る方は非常に稀です。なので、ここでは一般的見解として「仕事」と「遊び」はあくまで別の要素として分けて考えることにしています。

ということから、社会生活を営むうえでは、まずは「三つの仕事」と「遊び」から現代の社会生活は成り立っているということを認識する必要があり。それらのバランスをどう調整していくかがカギとなります。

人生の礎を築くための3要素

では、具体的にどうやって自らの生活に落とし込むのか。どうやってその礎を築き人生を運用していくかというと。以下の3つの要素が肝になってきます。

  • 時間
  • 優先価値
  • 目的

常にこの3つの要素を意識することで社会生活の礎を築き、そのサイクルを回していくこと(アップデートし続けること)がある意味人生であり。ここまでのことが深く認識できれば、日々の社会生活は確実に今までとは違ったものになります。

時間

時間は、人間誰しもにとって平等に与えられたものです。あの人は一日28時間あって自分は23時間なんてことはありません。人間誰しもに与えられた一日24時間。その24時間という有限の時間をどのように使うかを決めなければいけません。

例えば、一日自由に使える時間が1時間あったとして。その1時間を「ゲーム」に使えば、もうそれで終わりです。時間は有限なので必ずトレードオフの関係が成り立ち。何かの時間に1時間使えば、そのまま1時間という時間が消滅します。

優先価値

優先価値とは、日々生活する中で自分が何を優先するかです。

自分が持つ価値観のうち、どのような価値を優先的に行うのか。この価値基準が曖昧であれば、その日その日を適当に過ごしてしまいます。そうなると、「あれやっといて」「これやっといて」他人に言われるままに、やりたくもないことをし続ける毎日。自分(優先価値)を持っていないのだから自然とそうなってしまいます。

目的(やりたいこと)

優先価値と似たようなものですが。目的を持つことは大切です。人間として生まれたすべての方に共通する目的は「幸せを感じること」。それは当たり前なのですが。普段の生活の中で、どんなに小さなことでもいい。目的を持つことは重要です。

  • 「笑顔が素敵なあの子を振り向かせる」
  • 「美味しいコーヒーを淹れらるようになる」
  • 「シングルベッドをDIYする」
  • 「最高のおにぎりを作る」
  • 「夫婦で東京のレストランを食べ歩きする」

などなど。他人からすればどんなにくだらないことだったとしても、どんなに不快なことであったとしても、常に目の前になにかしらの目的(やりたいこと)があることは重要です。

目的を達成する過程、目的を達成した感覚、達成するまでの試行錯誤、それらの経験そのものが本来自己を持つ人間としての幸福度を高めてくれるからです。

何も思いつかなかったときに僕が実践していたことは、「目の前の生活が昨日よりも良くなるように毎日改善し続ける」ことです。「こうすればもっと楽しくなるよな」「こうすればもっと嫁さんが楽できるよな」

下手に大きな目的を立てて逆算するよりも、日々目の前の小さな改善し続けること(順算思考)で、思いのほか目の前の景色が良くなっていることはざらにあります。ビジネスが絡んでいない場面で順算思考はより効果を感じられました。

幸せを味わうための一つの手段

冒頭でも述べたように、何をするにしてもこの現代社会の中で行うことすべてにおいてそれは、人間としての幸せを味わうためです。

何かしら事業経営を行うにしても、プロのスポーツ選手を目指すとしても、それらは人間としての幸せを味わうための一つの「手段」でしかありません。

それらはあくまで人生イベントのうちの一つでしかなく、自らの人生を楽しいものにするためのひとつの要素でしかありません。まず先に考慮すべきものは「人生のフレームワーク(仕事論)」という大枠、子枠である「イベント」をそのフレームワークにはめること。

今現在、日々の生活に充実感を感じられていない方には特にお勧めしたい考え方です。