おにぎり屋を個人でやろうとしている方が考えてほしいこと

あくまで個人的な考えで恐縮なのですが。

これからのおにぎり屋市場では、いわゆる徹底効率・画一化されたチェーン店やコンビニではなく。

そうではない、個人経営のおにぎり屋に対して消費の需要が高まっていくのではないかと考えています。

なぜなら、街の至る所で機械(AI)化されていく光景を目にするからです。

高速道路の料金所・ホテルのカウンター・某飲食チェーンの案内係。現在の世の中の方向性として、機械(AI)化もとい機械労働力が台頭してきているからです。

たしかに、企業としては人間を組み込まないことで今までよりもさらに合理化され、さらに多くの収益を上げられているように見えます。

ですが、どれだけ時代が進もうとも、やはり人間は人間であり、人間味を欲する生き物であることからは逃れられない生き物だと仮定すると。

もうしばらくすると、機械化あるいは過剰なまでの合理化の反動とでも言いますか、人間的欲求が市場のいたる所に溢れてくるのではないかと考えています。

本来人間が持つ心を取り戻す人たち

現在の教育システムは、資本家や工場家が所有するシステムの部品としてよく機能するような人材を作るために運営されてきました。

本来人間が持つ心を抑えることが出来る人材を育てるために、全体主義の名のもと国が一体となって教育を進めてきました。

たしかに、その結果、爆発的な高度経済成長を支えることが可能になったし、世界的に見ても豊かな国の仲間入りが出来たのは事実です。

そして、それらを支えた労働力、人間としての心を抑制された人間であれば。

同じように、画一化された回転率重視の食べ物屋(チェーン店)を利用することに対しても、あまり抵抗をもつことがなかったかもしれません。※決して批判をしているわけではありません。

限られた休憩時間の中で、出来るだけ簡潔にエネルギーを補給するためには、

「安い・うまい・早い」

この3拍子揃ったチェーン系のお店が重宝されるのはごく自然なことです。

それから月日が経ち、それまでシステムの部品として組み込まれていた人間労働力は、一人また一人と高度化された機械へと置き換えられるようになりました。

人間と違って、飯も食わず朝から晩まで働くことができ、文句のひとつも言わない非人間労働力(機械)は、費用対効果として抜群の力を発揮します。

そして、それら高度な機械が人間の代わりを担うことによって、既存の人間労働力は必用なくなり、次第に弾かれていくことになります。

しかも、そうやって弾かれた人間労働力の受け皿は次第に少なくなっていきます(雇用の減少)。

では、そのような人間労働力は何をするか。

あくまで僕個人の見解ですが、人間労働力から人間へと戻っていくのではないかと考えています。

結果どうなるかというと。

今まで考える暇もなかった人間労働力が考える時間を与えられ、それまで働いていた企業というシステムを維持あるいは改善する以外のこと。

すなわち自分自身という一人の人間に目を向けることによって、本来人間が持つ心を取り戻す人たちが増えていくのではないかと。

もちろん、その浮いた時間をただ浪費するだけの人も一定数いるとは思いますが。総数的には、本来人間が持つ心を取り戻す人たちは増加すると考えています。

食べもの屋に求める期待も人それぞれ

そうやって本来人間が持つ心を取り戻していく人たち。といってもやはり人間、その欲求は様々です。

食べもの屋に求める期待も人それぞれに異なります。

高い金額でもいいからとにかく美味しいものが食べたいという人もいれば、味なんてなんでもいいから安い方がいい、といった人まで。

「美味しい」という感覚も人によって異なり。

おにぎり一つとっても、「ぎゅっ」と硬く握ったものが美味しいと感じる人もいれば、ホロっと崩れるものが美味しいという人。

そしてそれらの感覚は、おにぎりに限ったことではなく、食べもの全般に当てはまります。

むしろ、「美味しい」という言葉はものすごく抽象的な言葉で、当事者の主観が多分に含まれ。

たとえ同一の人物であったとしても、その時点で認識している情報によっても大きく左右されます。

例えば、それまで何の疑問もなく「このおにぎりおいしいよね!」なんて言いながら某コンビニおにぎりを食べていたOLさんがいたとして。

ふとした時に、何かの雑誌やメディアを見た時に「コンビニ弁おにぎりが身体に悪い7つの理由」などと書かれた情報を認識した次の日。

「よくそんな身体に悪いもの食べれるよねー、全然美味しくないし」

なんてことを同僚に向かって言い出すなんてことは普通にありえる話です。

スマートフォンが普及したことにより、様々な情報と瞬時にアクセスすることが出来るようになった今、上記のようなケースは今後より一層増えていくかもしれません。

要は、人の欲求というものは、人間が異なれば当たり前に違うと同時に。

同じ人間であっても、時と共に変化していくということ。そしてその変化のスピードは今後ますます早くなっていく可能性が高いということ。

マスメディアによってある程度統制されていた価値観は、マルチメディアの台頭によって今後ますます多様化していきそうです。

胃袋を満たす以上の価値

加えて、ご存知の通り、今この世の中にはモノが溢れています。

一昔前のモノが不足していた時代であれば、モノそのものを得ることがその人の欲求を満たしていたと思いますが。

現代のように一通りモノが皆にいきわたってしまった世の中では、モノそれ自体にあまり価値を感じられない人が増えてきているようです。

おにぎり屋を利用する方にしても、その店の店主やスタッフと話すことだったり、そのおにぎりを食べることで自らの健康を維持することであったりと。

生物学的に生命を維持する目的

腹が減ったから食べる

以上の価値を得ようとしている人たちが多くみられます。つまり、モノではなくモノを得ることによる「こと」。

本質的には「胃袋を満たすために食べている」のだけれど、それ以上の価値を求めているということ。

もっとも、ただ胃袋を満たすための食事であれば、それこそ工業製品的な食品で構わないし。

そういった食品であれば、何も人の手を介して作ることもなく、工場生産している企業に任せれば問題ないことであり。

僕ら人間がわざわざ店を開いて厨房でこしらえ、それをスタッフがお客さんの卓まで運んで、といった面倒なことをする必要もありません。

味覚的にオイシイ食品は世の中に山ほどあるからです。工場生産された既成の食品で食事を済ませれば時間も大幅に節約できますし。

それでも僕たち人間がそういった行動をとらないのは、やはり食事というものが単なる「胃袋を満たす」だけの行為ではなく、それ以上の価値があるからだと思います。

もちろんそれは人間だけではないかもしれませんが。

これは先進国に限ったことではなく、途上国の人たちにも等しく言えることです。※物理的に食糧難の状況にある土地に暮らす人たちには当てはまりません。

家族団らんで食卓を囲んで食事をする。

気の合う仲間同士でワイワイ言いながら宴を行う。

そこには、やはり感情を持つ人間だからこその心の繋がりがあるのかもしれません。

だとすれば、市場の中、特に地方でおにぎり屋を営む者として、単にオイシイおにぎりを作って胃袋を満たすだけの存在であっては、もはや誰からも必要とされない時代が来るのでは。

なぜなら、その役割は大きな資本を持った企業(大手のそれも合理化されたお店)が担ってくれるからです。

であるならば。それらの役割は資本家や工場家に担ってもらい、それ以外の小商いである個人のおにぎり屋が考えなければならないことは。

人の感情を理解し、心が通う商売を行う必要があると思うのです。

人間らしさを取り入れること

ということで、これから個人経営で特に地方でおにぎり屋を営むうえで大切なことは、枝葉的なことは色々あるかと思いますが。

核となる考え方として、

「いかに人間らしさを取り入れられることが出来るか」

今後、機械(AI)化されていく市場で求められる期待に対して応えるためには、そのような考えを持つことだと考えます。

もちろん「欲しい」と「買う」は異なる。ということは認識する必要があります。

このまま日本経済が停滞していけば、多くの人が「欲しい」けど「買えない」という状況になる可能性は十分にありえますから。

それでも、これから個人経営でおにぎり屋をやろうとしている者が選択する道は、人間味があることが大前提なのでは。

そこに帰結するわけです。