おにぎりを廃棄することへの葛藤

おにぎり屋を廃業する1カ月ほど前のことです。お客さんに何のお知らせをすることもなく突然、「完全予約制のおにぎり屋」へと切り換えたのです」。

いきなりそんなことをやり出すものだから、当時働いてくれていたパートさんもかなり困惑させてしまったと思います。ただ、僕がおにぎり屋を完全予約制にしようと決めたのは、ただの思いつきではなく。1日2日でパッと考えたわけでもなく、それこそ誰かに言われて何の考えもなく決めたわけでもありませんでした。

結果的には、完全予約制にする日の数日前に決定したということに間違いありませんが。実はその原因は、おにぎり屋を開業してから廃業するまでの約6年間、常に隣り合わせの存在だったのです。

すべて売れるとは限らない

おにぎり屋開業当初は、お店の規模も小さく、仕入れる食材・一日に製造するおにぎりの数もまだ少なかったこともあり。その日残ったご飯やおにぎりに関しては、自分の家族や実家・友達を含めた身内の人たちに食べてもらうことで、上手く捨てずに処理出来ていました。

このころは、食べ物を捨てることに対して「もったいない」という罪悪感が強かったこともあり、とにかく廃棄しなくて済む方法を考えていました。食材にもこだわっていたので、余計にそういった気持ちが強かったのかもしれません。それから、開業後少しづつお客さんも来てくれるようになり売上も上がってくると、それに比例して食材の仕入れ量も増えていきます。そ

うなると、自ずと食材在庫の予想管理も難しくなっていきます。お客さんが増えていけば、その来店上限数を見越して握るおにぎりの数も増えていきますが。その日その日の天気や町のイベント、それらに左右されると作る数が少なすぎたり、逆に作りすぎてしまうこともざらに出てきます。

お店で残ったおにぎりは、なんとか売り切ろうと近くの産直市に卸してみたり。冷凍して知り合いの人に買ってもらったり。色々試行錯誤しながらどうにか捨てないようにと齷齪することになっていきます。

それでも・・・毎回すべてを処理することは出来ず。廃棄せざるを得ない状況には何度となく直面します。そうやって何度も何度も残ったおにぎり、残った食べ物を廃棄しているうち、食べ物を捨てることへの罪悪感が少しずつ少しずつ薄れていきました。

開業して2・3年経つ頃になると、おにぎり屋開業当初にあった食材を捨てる罪悪感は次第に薄くなり。余ったおにぎりを捨てること、余った食べ物を捨てることに対して、おにぎり屋開業当初のような感情も抱かなくなっていきます。

「なんだまた今日も余ったのか、後片付けがめんどくさいなー」そのような気持ちの方が強く、売れ残ったおにぎりを平気でゴミ箱に捨ててしまう自分がそこにいたのです。

事業者か人間か?

僕の主観ではありますが。このとき僕は、良い意味かどうかはさておき事業者としてはそれなりに成長したのかもしれないと思いつつ。その反面、人間としての成長は明らかに退化しているように思えていました。そこに葛藤を抱いていたのです。

そんな状態から僕を救ってくれたのは、我が家の生活を支えてくれていた嫁さんでもなく、人生の先輩である両親でもなく、同じような個人店を営む誰かでもありませんでした。

それは、年齢的に僕よりもだいぶ若く、人生の経験さえもまだまだこれからだった当時5歳の息子だったのです。僕はいつもその息子に対して、「食べ物を粗末にするのは絶対に許さない」といった教えをしていました。それが日本の伝統であり、僕も子供時分からそう教えられてきたからです。

食卓に並べられたおかずやご飯、それらで遊んでいる子供を見ては、

「その食べ物はあなたに食べられるために生まれてきたんじゃないぞ」

「すべて父ちゃんら人間の都合でこの食卓に並んどるわけやからそれはちゃんと理解せないかん」

「そう思たら、そんな粗末に扱うことは出来ないやろ」

などと言いながら、大量の食材を捨てている自分は棚の上にあげ。偉そうな言葉を並べては子供たちに「食」というものを語っている自分。もちろん、そんな自分に対して罪悪感が無かった訳ではありません。

「食べ物を粗末にするな」

そう子供に対して言葉を発するたびに、矛盾している自分に憤りを感じていたし。心の中で葛藤を覚えていた事は今でもはっきりと覚えています。そんなある日、またいつものように子供に対して食べ物のありがたみについて語りかけていたとき。この日はいつもと違い、その5歳の息子にこんな言葉を投げかけられたのです。

「お父さんのおにぎりは捨ててもいいんや」

はじめは「えっ・・・」と一瞬戸惑ってしまいましたが、すぐにその5歳の息子が放った言葉の意味を理解することが出来ました。当時も、お店でおにぎりが残ったときは自宅へと持ち帰って皆で食べていましたが。結局食べきれなかったおにぎりに関しては、仕方なく家のゴミ箱に捨ててしまうことがありました。

いつかは分かりませんが、そのゴミ箱に捨てていたおにぎりを息子が見つけてしまっていたのだと。僕はすぐに理解することが出来ました。僕はその場で返す言葉が見つからず、苦笑い交じりにその場を収めてしまいましたが、その出来事は思った以上に僕の心の中に響きました。

その出来事がきっかけで、おにぎり屋開業からずっと続いてきた問題のフタが再び開けられ、真剣に向き合うことになったのです。おにぎり屋を開業してから常に存在し続けていた問題。「余ったおにぎり(食べ物)を廃棄すること」事業者としての自分と人間としての自分との葛藤であったともいえます。

もちろん、完全予約制にした背景には、お金をはじめ他にも様々な理由があったことはたしかですが。このときの息子とのやりとりが、何より僕の決め手になったことは間違いのない事実です。その数日後にはきっぱりと、通常の店舗営業を諦めることに至りました。

食べものを捨てるのはもったいない

今でははっきりと言えます。「食べ物を捨てるのはもったいない」たしかに事業者の視点からみると、
それら食べ物を捨てることでビジネスが成り立つケースもあります。コンビニなんかがいい例で、割引価格で売り切るのではなく、廃棄することでビジネスが回る仕組みになっています。

ビジネスが絡んでいない立場であれば、「おにぎりを廃棄するのはもったいない」社会に存在するプライベートな人間として問題視できますが。反面、そこにビジネスが絡んでいる立場であれば、食べ物を廃棄することでそのビジネスが成り立つケースもあるわけです。

経済至上主義の世の中であり、「欲」という思考を持つ人間がいる世の中では、「食べ物を廃棄すること」がビジネス上必要な場合もあるわけです。それは理解しています。

もちろん、そのような状況を改善しようと、廃棄される食べ物を使ったビジネスも少しづつ開発されてきてはいますが。やはり事業者としての立場とプライベートな人間としての立場には、なにかしら葛藤が生まれるものだと思います。

ともあれ、僕の場合、あのとき息子に気づかされたことで本当によかったと思っています。やはり、僕の人間としての価値観は「おにぎり(食べもの)を捨てることはもったいない」「食べ物を捨てるのはもったいない」という価値観だったからです。

今こうして食べ物を廃棄することに対してニュートラルに考えられるようになったのも、当時の葛藤に終止符を打ってくれたのも息子の存在があったからで。「食」に対する価値観を、人間としての立場と、ある意味での事業者としての立場で認識させてくれたのも、息子の存在があったおかげだからです。

まあでも、色々カッコつけた言葉を並べてみましたが。僕は、食べ物商売には向いていないのかもしれません。